物事の本質を掴むには

盲人とゾウの話はご存知でしょうか。

ja.wikipedia.org

ゾウの傍らに立った盲人らが、めいめいにゾウの身体を撫でては「ゾウとは細長い蛇のような生き物である」「いや巨大な丸太のような生き物である」と言い争う、というものです。

わたしたちにとっての物事の本質とは、ちょうど盲人にとってのゾウのようなものだと捉えています。

ゾウがどういう形の生き物なのかを理解するには、少し撫でた程度で「本質を理解した!」と騒ぐのではなく、全身を撫で回してみるしかないのです。

ところで、仮にあなたが盲人だったとしましょう。

傍らにいるゾウを丹念に撫で回し、その全体像を把握しようと奮闘したとします。

あなたが「ゾウの全身」を全て撫で回したことを、どうやったら把握できるでしょうか?

よし、全身を撫で回したぞ!と確信するには、一体どうすればいいでしょうか?

ひたすら丹念に記録を付け、新しい事実が出尽くしたと思えるまで撫で回すしかありません。

中途半端に「全てを把握した!」と信じ込むとその瞬間、ゾウがあなたを尻尾ではたき、今のは一体何だと驚愕するハメに陥ります。

そう、物事の本質を掴むには、本質を掴んだと信じないことが重要なのです。

常に疑う気持ちを持って「これが正解でいいのか。他のやり方はないのか」と考え続けることが次につながります。

そして、ひたすら物事の本質を探り続けるしかないのです。