間違ってもいいので自分なりの仮説を立ててみること

「考える」という作業の具現化

頭の中のもやもやしたものに言葉を与えるのが、「考える」という作業の具現化です。

その言葉も単語単位ではなく、文章単位ではなく、文章の形、それもいわゆる定言命題することによって、より自分の考えがはっきりしてきます。

定言命題とは、「〜は〜である」とか「〜は〜でない」といった言い切りの形で、ひとつの考えを言いあわらせるものです。

頭の中のもやもやも「〜は〜である」という形、たとえば「ウクライナの情勢は〇〇の出方によって変わる」とか「当社の課題は人事不足である」とまずは言い切ってしまうことによって、より考えが明確になるものです。

もちろん現実的には多くの問題は「言い切り」で終わるわけにはいきません。

自分なりの「仮説」を立てるということ

しかしまず大切なことは、あいまいだった考えを命題化することによって、ある問題に関して、自分なりの「仮説」を立てるということです。

たとえば、身近な新聞やテレビ、ネットのニュースを見て感じたこと、思ったことを当てずっぽうででも、間違っていてもいいので、とりあえず自分なりの「仮説」として言い表せてみます。

自分のまさにそうなのですが、この自分の考えというものに臆病というか、その場の支配的な考えに影響されすぎています。

それは日本の国民性もさることながら、「世界はみんな友達」とか「みんなはひとりのために」といった擬似的な空間に卵のように覆われて、口をつぐまざるをえなくなり、身動きがとれない状態になっていることからも見てとれます。

こんなことをいつまでも続けていると、自分の素直な感じ方を失い、本当の世界が見えなくなってしまいます。

多少見えることがあったとしても「そういうふうに考える自分のほうがおかしいのではないか」「善意を無視して、後ろ向きな考え方をしているのではないか」「そもそも人間同士は理解できるはずだ」など、自分の考え方や思いに自信が持てないときほど、優等生的なものに逃げ込もうとするものです。

やらなければいけないことは、すべての考え方に安易で安直な考えも持ち込まないようにし、たとえば一番優等生的なものからもっとも悪く考えたものまで、一つのテーマに最低でも3つの「仮説」を立ててみることです。

たとえば極端な話し「アメリカはウクライナを見捨てようとしている」「ロシアは第三次世界大戦を始めようとしている」などと言い切り形で「仮説」を立てるのです。

そうすることで、刻々と伝わる新たなニュースへの感度が高まります。

自分で立てた「仮説」を検証する

そして前に自分で立てた「仮説」を検証してみます。

「自分はあまりにも割り切りすぎた」とか「ここはだいたい合っていた」などといいながら、順次、修正していけばよいのです。 こうした作業を何度も繰り返して重ねていくうちに、それぞれの問題について共通するものが見えてきます。

自分の考えが、どういう方向性に傾きがちなのかもわかってきます。

それが自分の考える力を鍛えるということになるのです。